日本より少し小さい国イタリアは20州から成り、イタリアのほぼ真ん中にあるウンブリア州は、ローマのあるラツィオ州とフィレンツエを含むトスカーナ州の中間に位置する。

 広島県と同じくらいのこの州の面積の大半は800〜1300mほどの低い山と丘陵で、平地は6%ほど。
“イタリアの緑の心臓”といわれているウンブリア州は樫、山桜、ニセアカシア、クリ、ハシバミ、ミズキ、ナナカマドなどで覆われ、その緑の濃淡は湖や川の景色と相俟って心をなごませてくれます。

 ウンブリア州には名の知れた町、ペルージャ、アッシジ、オルヴィエート、スポレート等と共に小さな町も多く、そのひとつひとつが宝石のような魅力をもち又市民がそれを誇り、守っているのです。

 自然の食材に恵まれたウンブリア州は、その持ち味をいかした料理が楽しめます。
ブタ肉加工品や乳製品、豆類そしてノルチャの黒トリュフはあまりにも有名。イタリア料理に欠かせないオリーブオイルはウンブリア産が世界一といわれています。

 近年人気のアグリツーリズモは外国人にも気軽にイタリアのカントリーライフを体験出来るところです。
民族衣装を身に着けた伝統的な祭りのほかに、いろいろなジャンルの音楽フェスティバルも盛んに行われ、宗教的祭りや儀式はイタリア人の精神形成の土台を知るうえでも興味深い。

 
アメリア旧市内の一角 カピトーネ村とひまわり畑



■ナルニ Narni
海抜240m、 人口約21,000人
 地理学上のイタリアの中心地で、中世の雰囲気が強く残る典型的ウンブリアの町。
紀元前299年古代ローマの植民地となり、映画で有名になった“ナルニア”と呼ばれるようになる。
初代ローマ皇帝アウグストウスは駅伝制度を定め、この町は宿駅のひとつとしてにぎわった。
 プリオリ広場に面した現在の市庁舎は13世紀の三つの塔付き家をあわせたもの。12世紀建立のロマネスク風ドウオーモは見ごたえがある。
5月の時代行列は中世の衣装に対するこだわりが、見る者を中世にタイムスリップさせる。

■アメリア Amelia
海抜370m、 人口約11,000人
 ウンブリアの語源となったウンブロ族によって紀元前9世紀頃部落がつくられた。今も一部が残る長斜方形の角石を積んだ城壁の巧妙な組み合わせはみごと。
ローマからラヴェンナをつなぐアメリーナ街道により商業の町として栄えた。古代ローマ帝政時代に造られた貯水槽が今も残っている。
 外から見る町の姿は美しく、町の中から見下ろすパノラマはどこまでも明るくのどか。
考古学博物館にあるゲルマニクスの青銅像は必見。古代ローマの兵隊達の貴重な食べ物だった干しイチジクは今もこの町の名物。

アメリア新市街から旧市街を見る ナルニ旧市街とナルニスカロの下町



■テルニ Terni
人口約110,000人
 歴史は鉄器時代までさかのぼり、Interamna(二つの川に挟まれた地)と呼ばれていた。
 ウンブリア州の二つの県のひとつテルニ県の県庁所在地。ウンブリアではめずらしいれ平地につくられた町。“鉄鋼の町”で兵器産業が盛んだったため第二次世界大戦で爆撃される。鉄を誇る町を飾るオブジェは全て鉄鋼作品。
 “聖バレンタイン教会”は世界中の愛し合う者たちの集まるところ。
“マルモレの滝”は、元は古代ローマの執政官によって造られたもので165mの高さから水が流れ落ちる壮大さがゲーテやスタンダールをも感動させた。

■オルヴィエート Orvieto
海抜325m、 人口約23,000人
 パリア平野に突き出た凝灰岩の島のようで、切り立った岩盤が自然の要塞となっている。
エトルリア起源だが、13世紀以降町は発展整備されその姿が今日まで残っている。
 教皇領下が長く続いた。1290年に建設が始まったドウオーモはファサードが金をバックのモザイク画、マイターニ作の浅浮き彫り、中央入り口を飾るアーチの繊細な模様の宝石のような華麗さが見るものを魅了する。教会内のサン・ブリツィオ礼拝堂を飾るフレスコ画はルカ・シニョレッリの傑作。
 16世紀の“サン・パトリツィオの井戸”の248段往復も試す価値あり。
オルヴィエート・クラッシコの名で有名な白ワインの産地。

オルヴィエートの大聖堂 テルニのサン・ヴァレンタイン教会 ヨーロッパ最大、テルニのマルモレの滝



アッシジ Assisi
海抜424m、 人口約24,000人
 イタリア共和国の守護聖人のひとり聖フランチェスコの生まれた町。年間を通して興味深い行事が多い。春祭りは市民が中世の衣装をまとい、音楽ありダンスありで時間が逆戻りする感じ。
聖体節の聖職者の豪華な祭服や、町を飾る花のジュータンは見事。
クリスマスシーズンのプレゼピオの見歩きも楽しみの一つ。スバシオ山で採れる白とバラ色の石で造られた町は、聖人の慈愛と威厳に満ちている。
1997年の地震に耐え残った聖フランチェスコ上部教会に描かれたジョットによる28枚の“聖フランチェスコの生涯”フレスコ画はじっくり見たいもの。聖フランチェスコのシンボルであるタウ型の装飾品は若者に人気がある。刺繍物もかわいい。

トルジャーノ Torgiano
海抜219m、 人口約5,000人
 キアショ川とテヴェレ川の合流地点に位置する、低い丘の上の町。中世に要塞化されたこの町のなごりとして残る塔のひとつが、シンボルとして町の紋章に使われている。
17世紀に建てられた夏用貴族の屋敷、グラツイアーニ・バリオーニ邸の一部が1974年からワイン博物館(Museo del vino)になっている。ワイン好きの人必見。
その隣の“博物館の飲み屋”(Osteria del Museo del vino)では試飲が出来(グラス一杯1ユーロで飲めるものがかなりある。ルベスコDOCは3,50ユーロ)、もちろん買うこともできる。ワインの歴史をいろいろな角度から見た後の一杯は格別。
“8月のトルジャーノ”祭りでは、ワインで染料を溶いて絵を描くおもしろい大会がある。干しぶどうから作るヴィンサント(Vin Santo)はお菓子に合うワイン。

トルジャーノの街角 アッシジのサン・フランチェスコ教会



デルータ Deruta
海抜218m、 人口約7600
 この町の歴史は、古代ローマ時代に遡るようだが、11世紀以降ペルージャの南方面防御の砦として町らしくなる。
テヴェレ川左岸の柔軟性の高い粘土質の土を利用して、14世紀頃から製陶の町として栄える。時代と共に新しい模様、新色もふえ、広く世に知られるようになる。
一時衰退するが、イタリア統一後、名声は再び回復する。陶器国際トリエンナーレ展など、陶芸に関するものが多く催される。

チヴィタ・ディ・バニョレージョ Civita di Bagnoregio
人口約14人
 13世紀にこの町で生まれた、イタリア・スコラ派の神学者、聖ベネヴェントゥーラも書いているように、近い将来砂が崩れるように消えていく町。海底から盛り上がったため、違った地層からなり、地震などで孤立してしまった天空の町。
陸橋を渡って入る時から不思議な感動を覚える町。 
(オルヴィエートの近くですが、ラツィオ州の町になります。)

チヴィタ・ディ・バニョレージョ入り口 1600年代のデルータ焼き

スポレート、ノルチャ

スポレート Spoleto
海抜396m、 人口約38000人 
 山に囲まれた高台で、水が豊富だったこの地は鉄器時代には人が住み始めたようだ。
紀元前3世紀に古代ローマの植民都市になる。5世紀にテオドリックにより、湿地帯整備が行われる。
6世紀にロンバルド族により、スポレート公国となる。
14世紀以降、教皇領下がイタリア統一まで続く。
 1958年に設立されたヨーロッパとアメリカの文化を結ぶ”ふたつの世界フェスティバル”(Festival dei Due Mondi)は毎年6〜7月に行われ、高水準の演劇、音楽、舞踏等が中世の町並みを背景に展開する。あらゆる意味で新旧の見事に調和した町。
 ”トゥリ橋”(Ponte delle Torri)は最大高さ80mの10のアーチに支えられた長さ約230mの橋。
 12世紀のロマネスク様式のドゥオーモ内部後陣を飾る、フィリッポ・リッピ最後の作品、フレスコ
画の”聖母の戴冠”等は近くでじっくり見たいもの。

ノルチャ Norcia
海抜604m、 人口約6500人 
 地殻変動運動によってできた盆地の縁に位置するこの町はたび重なる地震に悩まされた。1859年の地震以降法律で、建造物は高さ12,50m以下と定められた。
夏は避暑地、冬はスポーツ地としてにぎわう。
 西洋修道諸制度を創設した聖ベネディクト(San Benedetto)は、480年にノルチャの裕福な家に双子の一人として生まれた。
14世紀に建てられた聖ベネディクト教会の地下礼拝堂には、聖人の生家跡といわれる所が残っている。この教会右側に置かれた16世紀の穀物計量秤は興味深い。
 サラミ、チーズ、特にトリュフはその薫りの高さで群を抜き有名で、18世紀の文書に、”教皇庁の人々はわざわざ立ち寄って購入した”とある。グルメ自称の人は、秋のトリュフ祭りは見逃せないところ。
”六月の花祭り”(il Giugno fiorito)もトリュフの香りに負けず華やいだ祭り。

ノルチャの市庁舎とサン・ベネディクト教会 スポレートのドゥオモ


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